はいみどりの世界

すてきな記憶を忘れないために

思い出のマーニー(湿っ地屋敷のモデルなど)

 

f:id:haimidori:20200503192933j:plainスタジオジブリ製作、米林宏昌監督作品「思い出のマーニー」は、2014年7月19日に封切りされ、筆者は翌週の7月26日に観賞しました。
作中では、札幌発の特急おおぞら号が登場し、さらに花咲線根室本線)の列車が登場するなど、その舞台は北海道の道東を強く意識させるものでした。

 

f:id:haimidori:20200503193020j:plain映画鑑賞の翌日(7月27日)、江戸東京博物館で開催された「思い出のマーニーx種田陽平展」へも早速行ってきました。開幕初日の開場時間5分前に到着したときには、既に150人程度が入場待ちをしていましたが、それ以降は来場者は予想外に多くなくて混雑もせず、ちょっと拍子抜けしました。
程なく開場時刻になり粛々と入場し、昨日観たアニメという2次元の仮想の世界を、今度は3次元のセットとして製作され実体化された空間の体験をしてきました。会場内には子ども用の小さめのベッドや机やタンスが置かれたマーニーの部屋を再現していたりして、その空間の大きさを体感し、登場人物の追体験が出来るという楽しさがありました。
会場内には、米林監督のスケッチ、イメージボードなども展示されており、興味深く見ました。その中にこの映画のメインの舞台である湿っ地屋敷(しめっちやしき)のスケッチが何点か有りました。そのうちの1つに、屋敷の建物の画の横にメモ書きのように「睡鳩荘」の文字が記されているのを発見しました。会場の展示を堪能して出口にたどり着くと、そこにはお決まりの映画関連グッズが並んでおりましたが、並んでいた画集やイラスト集には、先ほど見たスケッチ内の書き込みはありませんでした。

 

f:id:haimidori:20200503193043j:plain筆者は映画のストーリー画集の1つとこの映画の美術監督種田陽平さんの今回の作品のために書き下ろした本(新書形式のもの、以下、「種田本」と記します)を購入しました。平積みで置いてあったのですが、購入後に表紙をめくってみて、直筆のサイン本であったのにはちょっと驚きでした。

さて、この印象的な湿っ地屋敷の洋館のモデルについても、この本の中で触れられていました。そこには、いくつかの洋館を見て回ったりして参考にしているとのことが記されていましたが、具体的な場所については、函館辺りをロケハンしたり、写真を参考にしたりということまでが書かれていただけで、個々の名称は特に記載されておりませんでした。
一方、月刊旅行読売2014年8月号には、屋敷の青い窓は、函館の旧イギリス領事館の窓を参考にしたとの記述がありました。

  

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旧イギリス領事館は函館山の麓にあり、筆者は2年前に訪れており、この青い窓枠については記憶にありました。余り多くの写真は撮っておりませんでしたが、雰囲気はお判りいただけるかと思います。

屋敷に対する具体的な情報は展示会で見たスケッチ内の記述と、この記事の2点だけであり、現実の建物をそのままではなく、種田さんと米林監督が相談していろいろな洋館を参考に屋敷を作り上げていったことが種田本の記述からわかります。
また、この記事には屋敷の場所についても記述があり、そこには、浜中町の藻散布沼(もちりっぷぬま)、その他を参考にしたと記されていますが、一方、この種田本には、厚岸(あっけし)を手始めにそこから東の根室の方へ向かい、いくつかの湖沼を見て回り、音根沼(おんねとう)が特に印象深かったとの記述があります。

 

f:id:haimidori:20200503193137j:plain厚岸は、デパートで時々催される駅弁大会では有名でご存知の方も多いと思います。ちょうど、この記事を書いているとき、近所のスーパーでこの駅弁「かきめし(氏家かきめし)」が数年振りに手に入り美味しく頂きました。筆者は、この厚岸の「かきめし」が駅弁No.1と思っております。

横道に逸れてしまいました。本題に戻ります。この種田本の記述が正しいとすると、「厚岸以東の(藻散布沼も含めて)いくつかの沼を参考にした」ということに矛盾はないと思いますが、ネット上の個人ブログに散見される「藻散布沼(のみ)をモデルにした」との解釈は正確ではないと思います。旅行読売の記事のみを拡大解釈しないで記述通りに捉えて、さらに種田本の情報も考えて「音根沼や藻散布沼など厚岸以東の海沿いの小さな沼を参考にした」というように解釈すべきと思います。

なお、この種田本によれば、米林監督も独自にロケハンをおこなっており、神奈川県の三浦半島の江奈湾も訪れているとのことです。

 

f:id:haimidori:20200503193216j:plain江奈湾は筆者の家からは程近い場所です。そこでは、葦が茂り、潮の満干が体験できる場所なのです。

 

f:id:haimidori:20200503193232j:plainつぎの写真は2時間ほど経過した同じ場所のものです。

 

f:id:haimidori:20200503193300j:plainここに立って海を見ていると、さざ波を伴って潮がどんどん満ちてくる様子がよく判ります。

種田さんのこの本は、思い出のマーニーの舞台設定の裏側を知るのはもちろん、この映画に限らず、背景を語るに上においては示唆に満ちたものであり、背景のことを気にされる方にはこの本を一度は読まれることをお勧め致します。

  

f:id:haimidori:20200503193403j:plainさて、本題の湿っ地屋敷のモデルの建物についてです。
筆者は8月半ばに軽井沢タリアセンを訪れました。午後3時を過ぎていたので、いわゆる昼下がりの夏の日差しで青空と夏雲がきれいな日でした。
入場し、目指す建物を早く実際に見たいとその建物の方向へ真っすぐ林の中を向かっていきました。

  

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するとすぐ、木立のあいだから、あの建物が見えて来ました。これは、もう第一印象としてこれに間違いないと直感しました。連れの者には、先入観を与えないようにこの建物の存在を伝えていなかったのですが、その者もこの建物を見た瞬間に、「マーニーの屋敷だ!」と言ったので、やはりこの建物が全体の雰囲気としてモデルであることに間違いないと実感しました。

 

f:id:haimidori:20200503193428j:plainこの建物は塩沢湖の畔に建っており、その佇まいが映画の雰囲気を非常に醸し出しているのでした。また、この建物のすぐ脇まで手漕ぎのボートで行くことも出来、まさにマーニーの世界を具現できておりました。
建物の個々のディテールは異なるのですが、このようにその雰囲気は映画を彷彿とさせました。

 

f:id:haimidori:20200503193449j:plainこの建物は、旧朝吹山荘(睡鳩荘)と呼ばれ、以前は朝吹登水子さんが住まわれておりましたが、お亡くなりになったあと元々の所在地の旧軽井沢から、この塩沢湖畔へ移設されました。
いまは、内部のほとんどを自由に参観できます。

 

f:id:haimidori:20200503193507j:plainこの建物の設計は、旧豊郷小学校と同様にヴォーリズ氏の設計によるものです。
元は地階部分があり、その部分が映画の建物の船着き場の平面と呼応する感じなのも偶然とは思えない感じもしました。

 

f:id:haimidori:20200503193535j:plain建物の裏手にあるドアの位置が地面から随分上にあるのが、その階下部の存在を示すものだと思われます。

 

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湖からの陽の光の反射で2階の部屋の天井が照らされています。
天井近くまでの窓の高さなど、光を取り入れる工夫が開放的で明るい雰囲気を醸し出していると思います。

 

f:id:haimidori:20200503193612j:plainこのソファーにずっと座っていたかったのですが、でも、
遅い軽井沢の夏を少しだけ味わうことが出来ました。

 

f:id:haimidori:20200503193631j:plainベランダに出てみました。

 

f:id:haimidori:20200503193653j:plain開放的で気持ちがいいです。

 

f:id:haimidori:20200503193710j:plain玄関は湖側にあります。明かり採りの窓のデザインが秀逸です。

 

f:id:haimidori:20200503193737j:plain建物の反対側(西側)です。煙突のかたちが変わっています。

 

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名残り惜しかったのですが、振り返りながら、もう1枚。

 

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本当にまた訪れたい場所です。そして、道東の湖沼へも行ってみたいです。
(撮影:2012年7月7日(函館)、2014年8月19日(軽井沢)、2014年10月26日(江奈湾))