はいみどりの世界

すてきな記憶を忘れないために

耳をすませば(1)(地球屋のモデルとは)

 

f:id:haimidori:20200503221010j:plain世田谷邪宗門に何度か訪問していると邪宗門という名前のお店がこの下北沢だけではなく、いろんなところに在ることを知って他のお店にもお邪魔してみたいと思うようになりました。そんな中でも、桜ヶ丘邪宗門の名前が特に気になりました。筆者の最初の訪問の記事中にもそのお店のことを書いていたのですが、色々調べているうちにその記事の確証が得られなくなり、そんなときは「実際に行くしかない!」というのが筆者のポリシーでもあり、行ってみることにしたのが今年の1月…。

 

f:id:haimidori:20200503221100j:plain耳をすませば」を映画館で初めて見たときのことを思い出してみると、よく知っている京王線が出てきたり、駅前のビルの屋上にKEIOの大きな看板があったりして、それらからすぐに聖蹟桜ヶ丘が舞台だと判ってしまったことを覚えています。映画を見終わった後も、あの丘に行って同じ景色を眺めてみたいと思いつつ、その後、近くをクルマで通ること(野猿街道とか)はあっても、いつでも行けるという風に考えていたからか、結局20年近くのあいだ京王線のこの聖蹟桜ヶ丘駅を降りて歩いて舞台を訪れることは一度もありませんでした。
この聖蹟桜ヶ丘はアニメの聖地巡礼のはしりではないかと筆者は考えておりこのブログを始めてからもずっと、そのうち訪れてみようと考えていました。
そんななか、訪れるきっかけとなったのは、Twitterで「邪宗門」で検索を掛けるとぽろぽろ出てくる『耳をすませばの地球屋のモデルは桜ヶ丘邪宗門』という複数のジブリbotのツイート。しかし、そこに添付されている店内画像がおよそ地球屋っぽくない。
以下は、桜ヶ丘邪宗門が地球屋のモデルではないことをロジカルに証明する過程です。

まずは、現地へ。

 

f:id:haimidori:20200503221129j:plain聖蹟桜ヶ丘駅を降りて西口から出て左手に、耳をすませばマップの看板が立っています。

(この地図には地球屋の記載はありません)

 

f:id:haimidori:20200503221209j:plain図書館のある場所(いろは坂桜公園)

 

f:id:haimidori:20200503221239j:plain神社の場所(金比羅宮)

 

f:id:haimidori:20200503221305j:plain雫が駆け下りた階段への入り口(天守台)

 

f:id:haimidori:20200503221325j:plain地球屋のある場所(ロータリー)

地図など見なくても、駅から普通に道なりに歩いて、すべての舞台に迷わずたどり着けてしまうところがなんともすごい。こんな簡単に聖地巡礼できてしまう場所は見たことないというのが正直な感想でした。

 

f:id:haimidori:20200503221351j:plainロータリーの脇のバス停の場所が地球屋の場所(多摩市のデイサービスセンター)

さて、このロータリーの形状からも地球屋の位置モデルはここに間違いありませんが、その場所は平坦なので、もしここに地球屋が建っていたとしても、家の後ろ側の見晴らしはよくはないでしょう。
(映画に登場する様々な景色(耳丘、ひみつの場所など)については後日の別記事で)

さて、地球屋のモデルとジブリbotや個人HP,ブログで言われている桜ヶ丘邪宗門に行ってみることに。このロータリーや他の舞台からも結構遠く、筆者はクルマと徒歩でGPSナビを使い迷いながらようやくたどり着きましたが、ご覧のようにお店は閉まっています。

 

f:id:haimidori:20200503221424j:plain桜ヶ丘邪宗門
(このお店は2012年にオーナーがお亡くなりになって閉店していて、るのですが、お店の建物はいまもそのまま存在しています:*1しばらくは存在していましたが、2015年の夏に更地になってしまいました:*8)

 

f:id:haimidori:20200503221440j:plainお店の入口の感じは地球屋とは全く似ていません。内部の様子は暗くて伺い知れませんでしたが、窓際にステンドグラスの小さなランプと旧式の和風のミシンが置かれているのが見えました。邪宗門のお店の多くに共通して言えるのは、古い掛時計、古いランプなど和風のものが多く置かれており、和風アンティークショップ(骨董屋)な感じがするのですが、ここも窓辺のものからそんな感じがなんとなくしました。内部の写真はオーナーがあまり写真を撮ることを好まなかったためか多くは残されておりませんが、西洋風という感じではない写真も散見できます。
(このリンク先のブログの店内の写真は、数少ない西洋風な雰囲気も感じられる貴重なものかもしれません。ただしこれは1995年頃のものではなく、15年も後の2010年のものです)

(1990年から1995年辺りの店内画像は見つけることが出来ていませんが、この2010年の画像と大きくは変化していないのかもしれませんが確証はありません)

 

f:id:haimidori:20200503221503j:plain日本アニメーション

さて、複数のジブリbotがずっと流し続けている全く同じ文面の『日本アニメーションの近くにある桜ヶ丘邪宗門が地球屋のモデルになった』というツイート(地球屋には全く似ていない画像が添付されているものもある)と、『日本アニメーションには宮崎駿が在籍していた』というツイートがセットになっており、いかにも日本アニメーションに勤務していたときに宮崎駿さんが桜ヶ丘邪宗門に訪れていたように受け取れてしまう内容になっています。
実際これが何の根拠もないことを以下に明らかにして行きます。

現地へ行ってみると、日本アニメーションの入口は1本隣の道に面しており、お店へは大きく迂回して行かないと行けない場所にありました。日本アニメーションからは簡単に来れるという位置関係ではありません。(*3)
さて、この桜ヶ丘邪宗門が地球屋のモデルではないという感じがしてきたのですが確証がありません。
そこで、このジブリbotのツイートに付随している"桜ヶ丘邪宗門店内の画像"を世田谷邪宗門のマスターに見てもらうと、「これは、下田邪宗門だね」と即答される。やはり桜ヶ丘邪宗門とは異なる画像でした。よく見ると画像の中には、日本じゅうで昔よく見かけた赤い円筒状の郵便ポストが見えます。これは、鎌倉の邪宗門(今は小田原へ移転していますがそこ(小田原邪宗門)にはポストはありません。なお、小田原邪宗門は閉店しています)と下田邪宗門にのみあるものだということをマスターが教えてくれました。こんな大きなポストがあるなんて、とても地球屋の西洋風なお店の雰囲気とは相容れないと思いました。

そこで、実際に確かめてみるために静岡県下田市へ行ってみました。

 

f:id:haimidori:20200503221533j:plain下田邪宗門

 

f:id:haimidori:20200503221552j:plainお店に入るとこれはもう、骨董屋というよりも大きな倉の中の和風の列車みたいです。席は昔の客車のBOXシートのような感じです。完全に和風の雰囲気であり、西洋風な部分はどこにもありません。
このお店には、お手洗いの内外にもいろんなものが飾ってあり、いい意味で楽しいお店でしたが。

(上記は、ジブリbotに添付されている画像と同じアングルで撮影しました)

 

なお、桜ヶ丘邪宗門の店内は下田邪宗門とは異なり、ミシンとか古時計を除いては、和風テイストは薄く、アーリーアメリカンぽい雰囲気も写真からは見てとれます。

さて、今度は地球屋のモデルが桜ヶ丘邪宗門でないことを過去の文献を基に、より詳しく調べることに。

 

f:id:haimidori:20200503221615j:plainCOMIC BOX 1995年9月号(*2)

ネットで色々検索すると、COMIC BOX 1995年9月号の耳をすませば特集の記事にこの映画の美術監督の黒田聡さんのものがあって、そこに「地球屋のモデルは実在しない」と書かれているという個人HPを見つけました。実際にどのように記事に書かれていたのか気になったので、まんだらけの中野本店、秋葉原店などでも探したのですが現物は見つかりませんでした。
そこで、国会図書館へ行ってみることに。

 

f:id:haimidori:20200503221713j:plain国会図書館

筆者は国会図書館へは初めてで最初は少し緊張しました。館内の係の人に検索の仕方を教わりながらこの雑誌を探しましたがやはりありませんでした。
折角来たので「耳をすませば」をキーワードに関連の資料を探してみました。そして検索して見つけた「耳をすませば」の絵コンテ集を閲覧しました。この映画の絵コンテはすべて宮崎駿さんがお書きになられたものでしたが、印象は映画の感じとほぼ同じで西洋風な雰囲気のものでした。

つぎに、お茶の水明治大学の裏手にある米沢嘉博記念図書館を思い出し、行ってみることに。

 

f:id:haimidori:20200503221756j:plain米沢嘉博記念図書館

ここには、あのコミケの生みの親である米沢嘉博氏が収集した7万点もの図書が収蔵されており、閲覧することが可能です。(図書の閲覧は有料)
1階の受付で書名を検索してもらってから閲覧をする手続きをするのですが、最初は「ありませんね」と言われました。検索する文字列をローマ字にしたりひらがなにしたりして粘った甲斐があり、なんとか端末機の検索にヒットしました。そして2階の閲覧室で1日利用の受付を済まし待つこと数分、その雑誌を係の人が書庫から持って来てくれました。透明フィルムに大事にカバーされており、そこから取り出して手渡してくれました。
早速、黒田美術監督の記事のページを読んでみます。
やはり、記事中には、地球屋のモデルについて問われると、「あれは…ないですね。(以下略)」(文中ママ)と黒田さんは言っています。参考にするために家具屋とか骨董屋へ行ったりしたともあります。この雑誌には、イメージボードが掲載されており、地球屋の全体像が判ります。家具屋っぽい感じもします。

地球屋のモデルは公式にも一切そのような情報は存在しておらず、聖蹟桜ヶ丘の駅前の聖地マップにも当然記載されていません。
ではなぜ、桜ヶ丘邪宗門がそういう風にされてしまったのか。
筆者は今回の件を調べるために多くのブログやHPを調べてみました。桜ヶ丘邪宗門に訪れた方がドアベルの音が似ているというものもありました。耳をすませばをしっかり見ている人はお判りでしょうが、地球屋のドアにはドアベルはありません。
筆者の想像ですが、おそらく、アンティーク(古風)な喫茶店がたまたま桜ヶ丘を巡っているときに見つけた方がおり、ここが地球屋のモデルだったらよいなというファンの想いが一人歩きして、そういう伝えられ方をされてしまったのだと思います。(事実、地球屋のモデルがあったらいいなということをブログに書いている方もありました)

そしてその場所が宮崎駿さんがかつて在籍していた日本アニメーションの近くだったからなおさらです。
事実をくっつけることで嘘が本当のことのように思えてしまうトリックに多くの人は引っ掛ってしまいがちです。ましてや、多くの人が実際に在ったらいいなと思う美味しいネタがあればそれに飛びつく、いわゆる正常性バイアスという闇なんです。ツイッターにはこのような嘘の情報が拡散しやすい特性があることに気を付けなければなりません。現在もこの情報はbotという機械(プログラム)が流しており、その設置者(複数)は広告サイトがほとんどです。筆者はbotが好きではありません。bot専用アカウントだけではなく、一般の人が作ったアカウント中のbotツイートもアカウントをフォローしている人から見れば全く同じ情報を全く意味なく繰り返し受け取らせられるだけで何の効果もありません。検索で引っかかることを期待するのであれば、1回だけツイートすればよいのです。RTを期待できるのは期間限定なものだけなんです。それを理解せずに日々、botを自分のツイートに混在させて流している方は気を付けた方がいいと思います。
(地球屋のモデルを桜ヶ丘邪宗門であると言っているHPやブログはここ数年のものがほとんどです。それは、おそらくネットでのブログやtwitterの影響が大きいと思われます。twitterジブリ関連botは大変多く、その多くが元ネタが同じものであることもその画像や文面(全く同じです)からもよく判ります。このようなbotのせいで正しくない情報がずっと拡散し続け、多くの人達に今も間違った情報を植え付ける結果になっていることを残念に思います。このブログを見る機会を得た当該ジブリbotを設置されている方々はその内容をご理解のうえ、当該ツイートを削除していただければ幸いと思います。「桜ヶ丘邪宗門に行ってみたい」というbotもありますが、2012年にお店は閉店しておりますし今は更地です。)

では、日本アニメーション宮崎駿さんが在籍していたのはいつからいつまでだったのでしょうか。ちょっと調べてみました。

 

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(この年表は筆者が様々な資料を探して作成したものです。改ざんを防ぐためにイメージ化しています)

このように、1973年から1979年のあいだ、宮崎駿さんは自宅の所沢市から聖蹟桜ヶ丘に通っていたようです。遠距離通勤で大変だったことが想像されます。(*5)

さて、この写真をご覧ください。

 

f:id:haimidori:20200503222011j:plainこれは桜ヶ丘邪宗門の建物の向かって右側の壁に描いてある大きな絵です。
この方は、ジャズピアニストのビル・エヴァンスです。(壁画については、こちらをご覧ください。)
このような壁画が描かれているということはこのお店ではジャズがよく流れていたんだろうと想像できます。
さて、問題はこの壁画の一番下に書かれている「since1980」という文字です。
もうお判りでしょう。宮崎駿さんが日本アニメーションに通っていた当時(1973年ー1979年)にはまだ、桜ヶ丘邪宗門は存在していなかったのです。
1979年、彼の勤務先は三鷹となり、さらにその後の1985年に吉祥寺でスタジオジブリを創設することになります。このビルが完成したときに1階の喫茶店(茶房 武蔵野文庫)とスタジオジブリは一緒に入居したそうです。

 

f:id:haimidori:20200503222106j:plain吉祥寺のジブリスタジオが入居していたビル(井野ビル)

 

f:id:haimidori:20200503222126j:plainカレーライスも美味しい喫茶店(茶房 武蔵野文庫)

宮崎駿さんが耳すまの物語の原作に出会うのは、さらにそれから5年以上も後の1990年頃のことです。また、1979年以降、この聖蹟桜ヶ丘に来ることはおそらくなかったと思われます。

耳をすませばの監督の近藤喜文氏は日本アニメーション契約社員として在籍していたのは、1978年から1980年の1年半と1986年の1年間です。1978年から1979年は日本アニメーションでの宮崎駿氏との接点は存在します。

一方、1986年の契約社員時代に、宮崎駿氏がわざわざ近藤喜文氏に会いに行くために聖蹟桜ヶ丘日本アニメーションに訪問する必然性は高くはなかったと思います。

もちろん、聖蹟桜ヶ丘耳をすませばの舞台になったことは、日本アニメーションにこの2人が在籍していた時代があったことと大いに関係があることは間違いない事実だと推測されます。

以上のように桜ヶ丘邪宗門は製作において、地球屋のモデルにはなってはいないことがご理解できたかと思います。(*6)
桜ヶ丘邪宗門耳をすませばの多くの舞台からはかなりはずれた場所にありました。

お店は映画の舞台とは無関係に多くの方に愛されていたことは今でも色々なブログを見ることで伺い知ることができます。その中には、思い込みで地球屋のモデルにしてしまった方もいるのかもしれません。それは、自分の中だけにしまっておいてください。想像は自由ですから。

さて、筆者は、新潟県の石打邪宗門に先日訪れました。

 

f:id:haimidori:20200503222201j:plain石打邪宗門

このお店に入ったとき、そのなんとも言えない雰囲気に心酔してしまいました。

 

f:id:haimidori:20200503222219j:plainこの落ち着ける感じはどこから来ているんだろう。

 

f:id:haimidori:20200503222234j:plainお店の方がメニューを持ってきてくれて、注文をしているちょうどそのとき、どこかで聞いた懐かしいメロディーが。
「あっ、カントリーロードだ!」(小声で)
なんと、あの「耳をすませば」のモチーフの曲が、しかもジャズ風なアレンジで。
小野リサカバーでした。(正確にはボサノバ風ですね)
「なんて、お店の雰囲気に合っているんだろう」
自分が溶けてしまいそうでした。
名残り惜しく、帰路に付きました。

後日、世田谷邪宗門のマスターに石打邪宗門に行ったことを話すと、そのお店の出来た経緯を詳しく教えてもらいました。石打邪宗門のオーナーが近所の家の解体した部材を使って建てたものだそうです。(*4)その話の中で、桜ヶ丘邪宗門の話がたまたま出て来たのですが、なんと、この石打邪宗門を建てたときの余りの柱なども利用して建てたとのこと。桜ヶ丘邪宗門の玄関の前の「OPEN」の看板を挟んでいた柱の窪みはおそらく元々の家の柱を組んでいたときの名残りだと思います。

桜ヶ丘邪宗門にはもう入店することはできませんが、石打邪宗門で雰囲気の一端を味わうことはできます。石打邪宗門は本当に素敵なお店です。石打邪宗門邪宗門の完成形と言えると思います。そして、自分にとっての地球屋は、石打邪宗門ということにしておきます。(あくまで自分自身の中だけです)

 

f:id:haimidori:20200503222256j:plain最後に、このカップは、1994年頃に気に入って購入したものですが、地球屋の西司朗(80歳)が雫に出してくれたものに少し似ている気がするのはきっと気のせいでしょうね。

 

f:id:haimidori:20200503222318j:plain

*1:2014年12月6日現在、桜ヶ丘邪宗門の建物は1月に訪れたそのままのかたちで現存しています
*2:COMIC BOX1995年9月号の表紙の画像は天竺さんから頂いたものです。米澤嘉博図書館では撮影はできません(コピーのみ可)
*3:この件に関して、桜ヶ丘邪宗門をよくご存知の関係者の方から当時のお話を聞くことができたのですが、それによると、当時は周りは畑ばかりだったそうで、その畑の中を通れば、邪宗門に簡単に行くことができたそうです。また、桜ヶ丘邪宗門のマスターの当時のお話しによると、日本アニメーションの社員の方はよく来店されていたそうです。(当然宮崎駿さんが、日本アニメーションを辞めたあとの話です)(2014年12月28日加筆)
*4:現在の石打邪宗門は3代目の建物です。現在の建物は近所の家を解体したときの部材だそうです。オーナー自身の家ではないそうです。(2015年6月28日訂正)
*5:宮崎駿氏は通勤には自家用車を使われていたそうです(2015年6月30日加筆)
*6:監督の近藤喜文氏は日本アニメーションに在籍していたことがあります。耳をすませばは多摩とイタリアの山岳都市を参考にして設計した架空の街とのことです。(2015年6月30日加筆)
*7:耳をすませばのロケハンとして南イタリアを参考にしているという情報元ですが、多摩パルテノンで開催された「アニメーションと多摩」(2015年3月14日~5月24日)の展示会場でのイラストボード(地球屋のバルコニーから望む風景)の説明書きに記載されていたと記憶しています。(残念ながら撮影不可だったのと、図録にもこのイラストボードは収載されていません。)
その展示会の図録には、*6で述べたように、「(耳をすませばは)多摩地域とイタリアの山岳都市などを参考にして設計した架空の街」との記述があります。(2016年3月21日追記)
*8: 2015年の夏に桜ヶ丘邪宗門の建物は取り壊され更地になってしまいました。そして2016年にはその場所に新たな建物が建ってしまいました。筆者は2015年の冬以降、現地を訪れていませんので自分の目で確認はできておりません。google street viewでは、2015年5月の撮影画像が存在し、そこでは建物の画像をまだ見ることができます。(2016年9月11日追記)

*9: 近藤喜文氏の日本アニメーション在籍の時期等については、wikipediaを参照しました(2022年8月28日追記)

*10: リンク一部修正、最新の情報に一部修正(2022年8月28日)

(撮影:2014年1月11日:桜ヶ丘邪宗門、2014年1月19日:下田邪宗門、2014年11月22日:石打邪宗門
(その他の撮影:2013年12月~2014年2月)